目次
【生徒の間違えた問題の訂正のやり方】
授業中、生徒の丸付けを見ていたときの話しです。
私「・・・いや、その問題、丸じゃなくてバツだよ」
生徒『・・・?』
私「また、やり過ごし期間が過ぎて戻ってきてるよ」
生徒『・・・?』
私「・・・アルファベット。これってなんて書いてあるの?」
生徒『yです』
私「iに見えるよ。テキストの文字と比べて、yとiどっちが近いかってなったらiでしょ。あと、このrとsも判読不能だね」
ここで、生徒さんはノートにバツと打ち直します。
そして、”その問題の回答である文全体”を赤で書きました。
私「???」
【塾は成績向上のためひとつのアクション毎に意味を求めて欲しいと考える】
私「・・・ねぇ。」
生徒『はい。』
私「これって、何か意味あるのかな?」
生徒『はい?』
私「いや、この訂正だけど。何か意味あるのかな?」
生徒『・・・(は?こいつ何言ってんだ?)』
私「いやね、何が原因でこの問題をバツに訂正したの?」
生徒『アルファベットです』
私「そう。正確には3つのアルファベットが他のアルファベットと誤認されてテストでバツとなる危険性があるからだよね。それで、なんで文全体を赤で書いたの?どういう意図があったの?」
生徒『・・・(意図とか、何?こいつ、頭おかしいわ)』
私「いや、ね。あなた今この訂正で30文字ぐらいアルファベットを書いたよね。これさぁ、yとrとsを、それぞれ10回ずつぐらい練習する方が、意味があると思わない?」
生徒『・・・はぁ、まぁ。』
私「だって、同じ労力で「できなかった事」にアプローチできるから、少なくとも課題への改善効果はある訳じゃん。そっちの方があなたもハッピーだし、私もハッピーだし、文房具メーカーさんも意味のあることに使ってもらえてハッピーだし、地球も限りある資源を意味のあることに使ってもらえてハッピーじゃない?」
生徒『・・・はい。』
私「ひとつのアクションごとに意味を考えて動かないと、無意味を重ねるだけだよ。0はどれだけ積んでも0だよ」
【生徒さんは思考停止で行動することに慣れてしまっている】
塾で働いていれば「あるある」な生徒さんムーブではあるんです。
こういう無意味なことの積み重ねで『1時間やった!』とか『今日は3時間頑張った!』という”勉強”が錬成されているかもしれないと考えると、恐ろしいです。
なんか、こう、流れるようにその「直し」をするんですよ。
「テンプレ」があるかのように。
思考停止、どころか「一切の思考の介在の余地なし」という佇まいを感じます。
・・・正答できなかった原因だけ修正すれば良いと思うんですけどね。
どこでこれ習ったのかなぁ、と考えると、やっぱり学校なのかな、と思います。
例えばワークをこういった状態で提出しなさい、というような指示があると思うんです。
誤答の原因は個別具体ですから、「こういう時はこうしなさい」という指示を網羅的に出すのは無理ですよね。
かといって、「間違えた原因をはっきりさせて、その原因に対して改善するための正しい知識を赤字で書いた上で提出しなさい」という抽象度の高い指示では、できない子が大量発生するのは想像に難くないです。
また、提出物の評価軸自体の抽象度も高くなるので、評価者の主観が介在しやすくなりますし、なにより直しが入っている問題に対して、「何が原因で間違いが発生して、そこに対して適切にアプローチができているか」という塾みたいなチェックをしないといけなくなるので、現実的ではないのは十二分に分かります。
だから、ある特定の”状態”を、”直し”として指示をするという形にならざるを得ないのかと。
一方で、「抜けている知識・誤認している知識を発見し、正しい内容をインプットする・訂正する」という「塾的にやって欲しい直し」を妨げる要因になってしまっている気もしています。
【よって”意味があること”という縛りを設けると行動が考えられない】
同じ授業内での会話です。
私「模試の成績も考えると内申をもう少しあげておかないと、受験は苦しくなるかな。どうしたらいいと思う?・・・いや、違うな。その見通しも踏まえて、あなたは”どうしたい”?
」
生徒『・・・国語を上げたいです。』
私「ふむ。英語と数学を外した理由は?」
生徒『・・・現状英語と数学はあげられる気がしないです。』
私「なるほど。では、国語を上げるために、何をしたらよいと思いますか?」
生徒『・・・分からないです。』
私「少し考える時間をとりましょうか。良く考えてみて下さい。」
私「・・・どうですか?考えはまとまりましたか?」
生徒『・・・何もないです。』
私「では、ここで確認です。私が成績をあげるためにあなたに「こうこうこういったことをしてください」と指示したら、成績を上げるためと思って意欲的にやれますか?」
生徒『・・・』
私「そうですよね。分かってます。あくまで確認です。でも、困りましたね。何をやるかが見えてなければ行動できませんし、点数は変化しませんもんね。」
生徒『・・・』
私「では、アドバイスという形にしましょう。中間テストの問題と自分の答案を照らし合わせてみると、どういった類の問題/どこからの出題の問題、という区分でどれだけ失点したかを計算できるのではないですか?その失点の内、次回以降のテストで、どの類の問題を加点部に変えるかを考えて、やることを決めるのはどうでしょうか?
一つ、具体例を言いますね。中間テストの際は朝学の範囲を勉強せずにテストを受けたので、その部分で加点が見込めるはずです。中間テストの際に私がほぼ毎日注意喚起をしていた朝学範囲が取れていればそれだけで通知表は一つ上の水準に届いたはずですが、やらなかったので現状ではもう少し加点が必要です。
・・・あくまでアドバイスですから、やるも、やらないも、あなた次第です。来週の授業で、どう考えて、何をやったかを聞きますので、準備をしておいてください。」
生徒『・・・はい』
【塾から見て学力面を重視するなら「意味志向」がおすすめ】
最後の内容は少し余談気味ではありますが、このように多くの生徒さんは、勉強とは「体裁」を整える作業と捉えている節があります。
「何を覚えたか・理解したか」ではなく「時間」で区切ったりするのもそうです。
だいたいの生徒さんは「がんばろうと思う」と言うのですが、行動のひとつひとつは「極力単純化されたもの」として実行されています。
これでは、成績は上がりませんね。
でも、「染みついっちゃってる」というか「無意識にやっちゃってる」というか、それぐらい強固な定着を見ていてい感じます。
たぶん、周りが何も意識せずにお子さんに接していると、今の世の中の仕組み的にこうなっちゃうんだと思います。
体裁を整えることも必要です。これは間違いないですし、教育として子どもたちへ伝えていかなくてはならないと思います。
一方で、”意味”を求める頭も、もっていないといけないんですよね。
これは、割と低年齢から、意味を考えさせているかどうかが大きいと思います。
塾屋の意見として、「意味志向」のお子さんは学力的に優位に立ちやすいと思います。
そして、おそらく、就業後のパフォーマンスにおいてもそれは同じだろうと思います。
ただ、「協調性」は少し下がるかもしれません。
塾としては、成績向上を果たすために「意味志向」へと修正を試みていきますが、やはりその子自身のこれまでの考え方が根強く存在します。
無意識レベルで定着しているものなので、中々簡単に変わるものではないんですよね。
ですので、学習面で苦労を減らしたいとお考えの保護者様は、早目早目に「意味志向」を育てる方針を立てておくとよいと思います。
【守山個別塾ーモリコベ!ーと関連情報について】
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